会員の皆様へ

早いものでもう8月になり、連日、暑い日が続いておりますが、皆様はいかがお過ごしでしょうか。

6月の大阪の地震に続き、7月の西日本豪雨と、大災害が続いておりますが、被害を受けられた方々には、1日も早く平常の生活に戻られるよう願っております。
毎月のように、日本のどこかで「地震、水害、台風」と、大きな自然災害が発生しており、自分自身でも、災害の報道に慣れてしまうことを心配しております。

私の生まれ故郷十日町の冬は、数か月間6メートルもの積雪に覆われ、人口密度が高い地域では、世界一の豪雪地帯と言われておりました。60年前、衆議院の豪雪対策委員会の調査で、「何か困ったことはありませんか」と聞かれた十日町の人は、「困ったことは何もない」と答えたとのことです。

東京では、10センチ雪が降ったら大変なことになるのに、十日町では、6メートルの雪が積もっても困ったことは何もないと思っている時代がありました。
十日町の田圃は信濃川の河川敷にありましたので、田植えから収穫までの間に、水害で毎年2~3回水没することがありましたが、水害は、毎年起きるので、仕方ないと諦めるだけでした。

水害の時、信濃川の上流の長野県のリンゴ畑から流れてくる傷だらけのリンゴを拾って食べるのが、子供たちのささやかな楽しみでした。
昔は、今のようにコンバインや乾燥機を使っておらず、稲は鎌で刈り取り、ハザ木に掛ける自然乾燥の米作りでした。何日もかかりやっと稲をかけ終わったハザ木が、台風により目の前でバタバタと倒れるのは、子供ながらに涙が出てくるものでしたが、父親は黙々と倒れたハザ木から稲を外し、何日もかけてハザ木を立て直し、また稲を掛けておりました。

また、農家の男性は、冬は出稼ぎに行き、女性は着物の生地を織る機織りの仕事をどこでもやっておりましたが、その機織の仕事も着物を着なくなったため、なくなりました。
私も父も、半年間、雪に悩まされる農業から抜け出すことと、もっと大きな面積で米作りをしたいとの思いで大潟村に入植しました。

入植と同時に始まった減反政策は、私の農業人生に大きな影響を与えることになりましたが、私にとっては、とても良い人生経験になったことを感謝しております。
もし減反がなく、10ヘクタールの水田で自由に米を作るだけだったら、協会を創ることもなく、グルテンフリー食品を開発することもなく、輸出のことを考えることもなく、のんびりと暮らしていることができたのかもしれません。

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もしそうなっていたら、加速する農家の高齢化と国際化に対応することができず、他の農家と同じように右往左往する、1人の年老いた農民がいるだけになったのではないでしょうか。
幸か不幸か、入植と同時に始まった減反政策に、私は全身全霊で飛び込み、四十八年間走り続け、どんなに困難な状況になっても、「今日よりは明日」と、決して後ろを振り向くことなく前に進んできました。

「私が歩くところに道ができる、他の人がやらなかったら自分がやる」との思いで走り続けた48年間でしたが、気が付いたら来月で70歳になります。
今までは、「10年経ったら」との思いで取り組んできましたが、あと10年経つと80歳になることを、初めて意識しましたので、これからは、1年1年これが最後だとの思いで、全力を挙げて取り組んでまいります。

31年前に協会を創立し、あきたこまちを会員の皆様に宅配便でお届けするだけでも、大きな圧力を受けましたが、今では全国の農家が同じことをやれるようになりました。
10年前から取り組んできた米粉食品が、グルテンフリー食品として全国の量販店に納入されるようになり、米を素材とするグルテンフリー食品が、輸出商品として大きな力を発揮することができるようになりました。

石の上にも3年と申しますが、10年20年と同じことに取り組めば、必ず道は拓けてくるものと思うようになりました。
昨年から取り組んでいる玉ねぎ栽培も、大きな課題がたくさん発生しましたが、その一つひとつの課題を解決し、今秋はより大きな面積での取り組みにしたいと考えております。

暑さ本番、皆様にはお身体にお気を付け頂きたく存じます。

平成30年8月
大潟村あきたこまち生産者協会
涌井 徹


# by a_komachi | 2018-08-01 08:25