会員の皆様へ
大潟村の4月は、「ハウス張り、種播き、育苗管理、耕耘、代掻き」と、猫の手も借りたいほど、忙しい日々が続きますが、会員の皆様はいかがお過ごしでしょうか。
今年の冬、東京の帰りに何回か新幹線に乗ることがあり、車窓の流れる雪景色を見ながら、私の農業人生の原点を、改めて振り返ることができました。

私の生まれた新潟県十日町市は、毎年、テレビや新聞で紹介される全国有数の豪雪地帯です。
私が子供の頃は、雪道と2階の高さが同じになり、屋根から下ろした雪は屋根の端まで積もり、もう1度雪を外側に掘り出さないと、雪の重みで屋根が壊れたり、雪が2階の窓ガラスを突き破って室内に入って来たりしました。

そのため十日町市では、屋根の雪を取り除くことを雪下ろしと言わないで、雪掘りと言います。昔の電柱は、今より低かったのかもしれませんが、電柱の電線が道路と同じ高さになったこともありました。
十日町市の農家の女性の冬の仕事は、機を織ることで、どこの家からも、「カタコト、カタコト」と機織の音が聞こえてきました。そして男性は、稲刈りが終わったら関東地方に出稼ぎに行き、正月に1度帰るだけの、家族が離れ離れの生活でした。

私が学校を卒業し、初めて農業に取り組んだ年の4月10日の種播きの時は、田圃の周りは1メートルの積雪でした。田圃から1キロ離れた納屋から耕運機を運ぶため、春先の朝早く、雪が凍みて固くなっているうちに雪の上を移動します。陽が昇って、雪がやわらかくなると、耕運機が雪の中にはまって動けなくなります。
私も18歳の時、神奈川県の河川敷の工事、19歳の時、同じ神奈川県で下水道工事、20歳の時は、千葉県でトンネル工事と、3年間続けて出稼ぎに行きました。
その後、大潟村の入植と同時に始まった減反政策の中で、どのような農業に取り組んだら良いのか、様々なことを考えました。夏は田圃の作業があるため、冬の仕事をどうするのか、「きのこ栽培、ブタやニワトリの飼育、施設園芸」等についてを、一生懸命勉強しました。

そして春野菜を作るため、自宅から5キロ離れた田圃のハウスにビニールを張り、野菜の種を播きましたが、一晩の吹雪で、ハウスが雪の重みで半分潰されました。そのまま放置するわけにもいかないので、家族で雪の中のハウスを必死になって掘り出しましたが、次の日には、また吹雪でハウスが埋まってしまい、また雪を取り除く日が1ヶ月も続きました。
仲間とメロン作りのため、50メートルのハウスを80棟も建ててメロンを作りましたが、メロンの収穫が終わる前に、風速40メートルの台風に襲われ、1時間で全て倒壊したこともありました。

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また、田圃にほうれん草を植えた時は、収穫直前に大雨が降り、ほうれん草の畑には池のように水が溜まり、大きな鯉が何匹も泳ぎ、数日して水がなくなった時、ほうれん草は皆、黄色く枯れたこともありました。
そうして畑作に取り組めば取り組むほど、借金が増えることになりました。
「賽(サイ)の河原の石積み」のような農業を続けながら、雪国の農業は、もっと他のことがあるのではと、何日も考えました。

そんな試行錯誤の中で、私が辿り着いた雪国の農業は、春から秋まで育てた米を加工し、1年間通して販売することで、雪や台風等の自然災害に負けない農業の仕組みを構築することでした。
米を販売するといっても、どうしていいかわからず、まさに手さぐりの中で始めた白米の産地直送のために、協会を設立しました。

そんな私の試行錯誤の中で始めた白米の産直も、国の政策に従わないものとして、長い間、犯罪者扱いをされたものでした。
しかし、米作り農家が、自分で栽培した米を自分で販売することは、極めて自然なこととして、全国の米作り農家に普及していき、平成8年に新食糧法が制定され、農家が自分の米を販売することが自由になりました。
私が白米の産直を始めて29年、米を使ったグルテンフリー食品の開発により、米の新しい価値を発見することができました。

48年前に減反が始まってから、米をたくさん作ることが悪いことのように言われたことが長い間続きましたが、減反政策の最後の年に、米を使ったグルテンフリー食品の開発ができたことは、日本の米作り農業の発展に大きな可能性を提案することができるだけでなく、小麦を主食とする世界の国々の、グルテン障害の改善にも大きな貢献をすることができます。

国も3月末に、日本のグルテンフリーの認証制度をつくり、今年の夏から世界に発信しようとしていますが、国の政策と私の取り組みのスピードが初めて一致しました。
季節の変わり目、会員の皆様にはお身体にお気を付け頂きたく存じます。


平成29年4月
大潟村あきたこまち生産者協会
涌井 徹
# by a_komachi | 2017-04-03 08:32